人望の厚いA君と人望に薄いB君の喧嘩。
A君は負傷し、担任の先生に泣きながら「B君にやられた。」と一言。
先生は何があったのとA君に優しく尋ねる。
A君は全てB君が悪いと説明する。
担任の先生は負傷したA君を帰宅させ、B君からも個別で話しを聞くことに。
先生はB君にも何があったのと尋ねる。
B君は全てA君が悪いんだと説明する。
A君B君両者の言い分があまりにも違う為、学年主任の先生も交え目撃者C君からも話しを聞くことに。
C君は人望に厚いA君を庇う説明をする。
担任、学年主任の先生はB君が悪いのではないかと仮説を立てる。
先生方はB君に本当の所はどうだったのと尋ねる為に再三に渡りB君を呼び出す。
何度も先生に連れて行かれるB君を見ているクラスメイト達。
・実際に負傷した痛々しい姿のA君
・A君は悪くなかったと主張する目撃者C君
・三者の説明から事実の仮説を立てる大人(先生)
・何度も先生に連れて行かれるB君を見てB君が悪いのだなと先入観を持ってしまうクラスメイト
あなたがもし、クラスメイトD君ならどう考えますか?また、この話をロシアによるウクライナ侵攻問題とで絡めるとどうなりますか?
ウクライナはA君でロシアはB君、C君はNATO加盟国のどこかで、D君は日本人である貴方でしょうか。
痛々しい姿のA君に対し、一見すると怪我一つ見当たらないB君ですが、もしB君が服を脱ぐとアザだらけだったら?
多くの人はA君が被害者に見えて、B君は加害者に見えるでしょう。
少し捻った考え方をする人であれば実はA君が加害者でB君が被害者なのでは無いかと考えるでしょう。
では、更にもうひと手間捻った考え方をしたら、実はC君が裏で手を引いていてA君とB君の喧嘩は仕組まれたものだったのでは無いかと考える事も出来ます。(被害者=AorB加害者=AorBでは無く、被害者=AandB,加害者=Cと言う事です。)
その考えは捻り過ぎやろ!と笑ってしまいますが、このような考え方も出来るよねと思うのです。
メディアによる報道は、報道前にしっかり裏取り作業もしている為か、どの記事やニュースを取っても妙に説得力が有り、その全てがあたかも正しく思わせる内容となっています。
実際に視聴者自身がグーグルなどの検索エンジンを駆使し、リサーチしたとしても同じような内容がスマホに表示されるでしょう。
だけれど、メディアによる報道は、ある事象に対する"表"の部分だけであって報道内容に虚偽は無いものの"裏"の部分はいつの時代も報道されないものです。
原発事故の全容が全て包み隠さず報道されていると思いますか?
そしてそれは時を経る毎に積み重なり"表"向きの情報を集約した歴史を作ります。
つまり我々が学ぶ歴史書に載る歴史は全て"表"向きの情報を集約したものであって本当の所はそれが真実であるのか虚偽であるのかは当事者でない我々には到底知り得ないものであると考えています。
また、今の時代であれば何か調べ事をする際、情報を欲して先ずググる(インターネットで検索)と思いますが、ここで一つ心得なければならないのがその欲する情報をググったが最後、それは"表"向きの情報でしかないと言う事です。
何故なら「検閲」が入っているからです。
ある者にとって不都合な事実はいつの時代も無かった事にされますが、今の時代のその手段が「検閲」なだけであって、何もおかしな話ではないのです。
ワクチンに対するネガティブな記事が出てこないのは何故でしょう?
少しあからさま過ぎない?と思ってしまいますが、"裏"向きの事実はいつも隠され、"表"向きの事実は公表されます。
"裏"を知ったところでどうこうなる訳では有りませんが、メディアの報道やネットの検索結果から盲目的にあぁそうなのか!と思うのは何というか愚の骨頂ではないかなと思ったり思わなかったり。